うさぎとHSPがルームシェア

うさぎとHSPは相性がいいと思う…

右へ倣え的な生き方に辟易

今週は職場で、とても悶々とする出来事があったので、ココに書き出してスッキリさせてください(^^;)

数日前の話なのだが、他所の職員の訃報と募金を募る回覧板が、職場内に回された。
募金?と思いよく読むと、若くして病気で亡くなったため、残された奥さんや子供さんの経済面が不憫だとのことで、募金を募るというものだった。

災害等で夫も家も亡くした…というなら、募金を募るのは当然だと思う。
でも、夫を亡くすのは誰にでも起きることで、経済面は遺族年金をもらえる訳だし…。
何で募金なんだろう?、公務員の職場特有の慣習なのかな?
それとも、私の感覚がおかしいのかな?、私が冷酷な人間なだけ?…
色々と頭を過ぎって、無駄に疲れてしまった。

それは兎も角も、募金の署名欄を見ると、みんな見事に右へ倣えで1,000円と記入していて、物凄い違和感を覚えた。
募金しないと除け者みたいな圧を感じたし、波風を立てないよう振る舞う気持ち悪さも滲み出ていた。
でも、どうにも腑に落ちなかったので、私は敢えて賛同せずスルーした。
たとえ、これが原因で後ろ指差されたって、もういいや…って思えた。
周りの様子を伺ってから、自分の行動を決める生き方なんて、気持ち悪くてやってらんない!

…あぁ~、スッキリした。
ストレスやらマイナス感情やらは、溜め込むと心身によくないからね(^^;)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

COP25に絡むデモを見て思うこと

今年は、地球温暖化に関する会議が注目され、幾度となくニュースや新聞記事を見た
そんな中で、何と言っても注目を浴びたのは、スウェーデンの環境活動家グレタさんだろう。
そして、グレタさんの発言や行動に刺激を受けて、世界中の若者たちがデモに参加した。

もちろん、その活動は素晴らしいと感じるし、言っていることも真っ当だと思う。
脱炭素社会,再生可能エネルギー…、その通りだ。
…でもね、何だか違和感を感じる。
主張するのはいいけれど、順序を間違えてはいないだろうか?

私たち先進国の人間は、ありあまる暮らしを当たり前のように享受してる。
その暮らしぶりが、火力発電を必要とする社会を作っている。
だから、ありあまる暮らしのレベル自体を見直さず、ただ脱炭素社会を主張するのは如何なものかと思う。(グレタさんは兎も角も…。)
そこら辺の身勝手さを、開発途上国の代表たちは怒っているんだよな。
暮らしのレベルを下げると言っても、国家全体で取り組むなんて現実的でないのは分かってる。
でも、こういう発言をするからには、自分自身の生活レベルを反省する姿勢は、筋を通すために必須だと思う。

何も、生活レベルを石器時代にまで下げろと言いたいのではなく、せめて必要最小限の暮らしをしようね…ということ。
最近よく目にする、ミニマリストってやつだ。
必要最低限の暮らし、身の丈に合った暮らしをすると、不思議と心が楽になりHSP気質にも向いているんだよね。